画像提供:大津市歴史博物館 (禁無断複製)

近江八景の由来
 日本の名勝として古くから親しまれている近江八景。その背景には中国文化の多大な影響がみられます。室町時代の日本では、中国宋・元の文化が盛んに移入され、特に洞庭湖付近の名勝を描いた「瀟湘八景※注1」は、多くの文人や詩、絵画に取り上げられました。そして瀟湘八景を手本に日本各地の景勝地から“八景選び”が盛んに行われ、京都や近江に来住した僧侶たちなどによって近江の景勝が見出されていったのが始まりです。

※ 注1
瀟湘八景
11世紀の北宋の画家「宋迪(そうてき)」が中国湖南省の瀟水と湘江が交わる洞庭湖付近の景勝を描いたもの。そこには「夕日」、「水面と月」、「雨と柳」、「寺の鐘」、「水田と雁」、「空と松原」、「雪」、「船と港」が主題として選ばれています。


八景の選定者
 現行の近江八景の選定者については諸説があり、室町後期の関白「近衛正家」の選定とする説や江戸初期の関白「近衛信尹」説などがありますが誰が最終選定者であるのかは定かではありません。 ただ、室町後期に瀟湘八景がもてはやされたのを背景に、近江を訪れた僧侶などが琵琶湖畔の景勝を見出し、江戸時代初頭の文化人たちが八景を選定したことで現行の近江八景が確立していったというのは確かなようです。

浮世絵により普及した近江八景
 近江八景は17世紀後半、絵画の主題としてさらに知名度を上げ、18世紀以降には陶磁器や漆器など趣向を凝らした八景作品も次々と生まれていきます。しかしながら、近江八景を名勝として庶民にまで浸透させたのは、やはり歌川広重による浮世絵だと言えます。広重は二十種類にものぼる近江八景作品を版画として残しています。近代になってもなお親しまれた近江八景は画材として岸竹堂や今村紫紅、伊藤深水など多くの画家たちに継承されています。

 

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矢橋の帰帆

石山の秋月